私は、視力はそんなによくないです。近ければ近いほど見える。遠くなるにつれ、ぼやける。
長年この状況で生活していて、不便を感じたことは一度もない。
いやむしろ、利便性を感じることのほうが多い。
利点を具体的に挙げるとしたらいくつかあり、あした書くけど、
まず総括しておくと、
遠くがぼやけることのメリットの大半は「情報量をカットできる点」です。
では具体的になにがいいかっていうと、第一に挙げたいのは、
鏡で自分の顔をみる時ぼやけているので、美人だと勘違いできる。...これです!!
自分が美人であるかどうかなんて、はっきり言って当人のみが興味あることなんで、当人が勘違いしといたらいいんじゃないでしょうかね。近視はその勘違いを増長させてくれます(笑)
いやぁ、利点がいくつかあると言ってはみたものの、もしかしたらこれに尽きると言ってしまってよいでしょう。。。
次に、
他人の顔の造作が気にならない。
いい意味で言えばカッコ悪い顔の相手であっても、私から見たらぼやけているのでまったく気にならない。逆にかっこよく脳内補正している疑惑すらある(笑)
「他人の顔の造作が気にならない」について、よくない側面があるとしたら、私は相手の顔を覚えてない、てことかな?(おいっぅつ!!!)
前回会った状況と服装等だけで相手を認識するので、別のシチュエーションで、顔を単体で見ても、まったく識別できん(おいおいおい!!!)
でも、だいたいの人は、いつも似たような服を着てるし、会うとしたら同じような場面だし、背の高さと声は基本的に変わらないし、しゃべってる内容構造も同じなので、問題なく識別できます。
ただ、再度言うけど、私は、相手の顔の造作はまったく見えとらん(笑)
第三に、
暗い場所でもキーボードが打てるようになる。どういうことかっていうと、、キーボードは一つの象徴的な例ね。
私は自分の部屋のパソコンのモニターの真下にキーボードを置いてるので、
真っ白に光るモニターの明るさとのコントラストでキーボード周辺は真っ暗になってるのよね。まぁ、もともと部屋を暗くしていることも手伝っているのだけど。
で、ほぼこの真っ暗な手元でもキーボードを打てる、つまり、「見えてなくても想像力で補って身体を動かす」ことができるわけよ。
生活しているなかで見えない場所や見えづらい場所があっても、一度しっかり間近で見ておいて把握しておれば、次回以降は、
くっきり見えてなくても脳内補完で「あたかも見えているかのよう」に「把握しているかのように」(実際把握している前提の話なのだが)行動できるわけよ。
なので、見えづらいことによって、むしろ、見えないことによる不便を補って余りある生活スキル的な外界識別構築力が身に付くわけです。