しめ縄や
春の水湧く
水前寺
漱石は正岡子規の影響で句作に熱中します。
熊本でも俳句を作っては子規へと送り続け、子規は朱を入れて添削し、送り返していました。この句は漱石が明治30年4月18日に子規へ送った51句中の一句です。
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なんという幸せな関係でしょう、、、
夏目漱石ほどの文豪が、謙虚に、尊敬する正岡子規へ教えを乞うて、そして、正岡子規も漱石からの頼みに正面から応えて、添削し、返信し、それを受けて、漱石は、ますます句作にはげみ、尊敬する子規へたくさんの句作を送り続ける、、
お互いが信頼関係で結ばれているんだなぁと思ったよ。
漱石は、子規へ全信頼で添削を頼み、添削された内容を素直にききいれ、教える側も全力で受け止めて相手へなにかしらのフィードバックをしようという、上から目線ではない考え方を返信し、お互いが、相手をリスペクトしあっている、夢のような関係だと思った☆彡