トオルEXPRESS-2-

 瀬田 透です。大切なあなたへ、お手紙をお届けします。

★天草四郎時貞

全体の長期的最適化を優先する傾向にあります。

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己の有利な立ち位置に固執することは、まずない。

(2015/06/03 07:00)

 

 

 

 

 

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【補足】

補足やら注釈やら書きすぎるのは潔くないし、相手の解釈力を信用していない失礼なふるまいになってしまわないか危惧してしまう心配性もあり、もろもろ含めてみっともない行為であると考えたうえで普段から自重してはいるのですが、誤釈されるのは本意ではありませんので(ことこのテーマに限っては)、だらだら付け加えてみなさんのお手を煩わせ、時間を無駄にさせてしまっているかもしれないことを許してください。「自分めんどくさい」という自覚はあります。よろしくお願いします。

(加筆 2015/06/03 22:15)

 

本日の記事の文面を読まれた方が内容をどのように解釈されたのかは、個々人異なると思います。ほとんどの方は、アップロードされている天草四朗時貞が鳩を掲げた晴れやかなる銅像の写真と添付の拙文を流し見、「熊本よかとこだね、よかったね、どうでもいいけど」と心の中でつぶやいてそっとページを閉じたのでしょう。この推測はおおむねはずれていないはずです。さて、こんな状況にいちいち傷つくはずもない私は(と言っておきながら上記のとおりであれば相当傷つく耐性のない心臓の私ですが)数時間後に自分の記事を読み(お昼ごはん前くらいかな)、上記事の内容は大きく二通りの解釈ができることに気付きました。それも、正反対の自分像が浮かんだので、びっくりして、帰宅後に【補足】を追記しようと思った次第です。

(加筆 2015/06/03 22:35)

 

「己の有利な立ち位置に固執することは、まずない」

(加筆 2015/06/03 23:18) 

 

今見えている本文の、3行ほど前に書いてあります、括弧内のフレーズ(「己の有利な立ち位置に固執することは、まずない」)が、多分に誤釈を招きがちだと、後になって気付いたのです。もう昨日の記事のことなのに、何故こうもうだうだ喋りつづけられているのかというと、諦めたからです。昨日も言いましたが、というか勝手に宣言したにすぎないのですが、“よろしくお願いします” という前提でうざい自分そのままに語るということを、本記事では自分に許していますので、こんなふうに思いつくまま喋っているというわけです。

(加筆 2015/06/04 21:33) 

 

付け加えますと、本記事では漢字の割合を若干増やしています。私は元来、ほぼすべての言葉を漢字に置き換えたいくらいの漢字マニアなのです(ああ、ここでも、“ほぼすべて” を “ほぼ全て” にするか否か、小一時間悩んだあげく、“ほぼすべて” に落ち着きました。どちらにしたところで、漢字の力を借りずとも文脈へ影響しないだろう判断した結果、“ほぼすべて”  を採用と相成りました。一般の書物が抱える文体と比較すると、漢字が多すぎる『天草四郎時貞』の記事のなかであえて不要な漢字を持ち出して文章を読みにくくしてしまう必然性がまったく感じられなかったのです。しかし、せっかく「読みにくくても構わない」と居直っているのであれば、大好きな漢字を採用して “ほぼ全て” にすればよかったんじゃないか?と早くも後悔し始めています)。あーまた、「めんどくさい自分」が喋りだして話が先に進まないので、ハイボール作ってきます。

加筆 2015/06/04 21:55) 

 

全体の長期的最適化を優先する傾向」

そもそもこんな口ぶりがいやらしい。今、続きを書こうとして原文を読み気付きました。我ながらぞっとしました。って、あちこち気付きポイント多すぎ、突っ込みどころがありすぎて話が進まん! 難しそうなことを、そのまんま難しそうに言う俄かインテリ?おまえ誰?何様?ぬりこサマ(←いま即興で脳内創作した才気溢れる小悪魔キャラ)?みたいになってる昨日の自分が恥ずかしすぎて、どうしたらいいのでしょうかねぇ。

(加筆 2015/06/04 22:45) 

 

それから、書いている間にかぎ括弧が多くなりすぎている点も気になりはじめました。括弧の多い文章は個人的には大嫌いなのです。理由はただひとつ、気が散るからです。でも括弧は、使用している本人に限ってめちゃくちゃ便利で、その場しのぎの言い訳ができるんです。よって、こちらでも多いに節操なく括弧を多用していきたいと考えています。

(加筆 2015/06/04 23:40) 

 

本題になかなか入れないのは、ここへきて面倒くさくなってきたからであります。説明するのが面倒くさいのではなくて、自分語りのうっとおしさに面倒くさくなってきているようなのです。ようなのです、という言い回しがまた、他人事のようであり、詩人ぶっており、我ながら「心底うざい」「お前がどう思っていようと知らねーよ」という第三者の心の声が増幅して聞こえてくるのです。ああ、うっとおしがられているな、そう自覚しているので、自分以外の方々の総意としては「こいつ面倒くさくなって」きたな、と思っている最中であると推測いたしました。間違っていたらすみません。たぶん間違っていないと思います。

(加筆 2015/06/05 20:07)

 

それでも誤釈防止のために、最後まで書ききらねばなりません。ちなみに、“誤釈” という単語は私の創作物かもしれませんので、単語創作者として辞書掲載用の意味を添えておきます。 “誤解(ごかい)されたまま解釈される” の短縮形です。活用例:誤解されたまま放置されたくない状況、あるいは、誤解されたまま不当な悪意や被害を蒙ったシチュエーション等で、「それは誤釈だ。話せばわかる」と相手へ身を投げ出して訴えるイメージでご使用ください。

(加筆 2015/06/05 21:58) 

 

やっと、本文のテーマにとりかかります。「全体の長期的最適化を優先する傾向」を前提としての、「己の有利な立ち位置に固執することは、まずない」についてです。自分の言動を顧みるに私は短期的にその場の空気を読み、調子を合わせた大人風味の立ち居振る舞いが出来ているか。否です。はっきり言ってKY(空気読まないの略です(←後の若い世代のために注釈しておく))な言動が目立っています。あるときは、自分有利な振る舞いをしている(かのように見える)ので、「自己中だなー」で片付けられてしまいます。

(加筆 2015/06/09 22:08) 

 

しかし。私が今とる言動「空気読まないなコイツー」は、相当のちになってマジョリティーになる、というか、皆の安心感や幸福感の元につながると、直観的にわかっているから、そうしているのです。目先の多数意見に媚びることよりも、すでに見えている先々の展開を優先しているだけのことです。

(加筆 2015/06/10 21:20) 

 

ですから、いついかなる状況でも、現時点では、私の言動は明らかに私個人にとっては不利です。その上、周囲の状況が見えていない困り者とすら認識されていそうです、ちょっと痒い感じに不本意ですが。

でも後になって私の判断が皆の気付きや指針になってくれますことを確信しておりますので、己の行動の方針を変えることはしません。それまでの間、私は自分が後ろ指さされても構わない。これが言いたかったのでした。

(加筆完了 2015/06/16 21:27)