■阿遅速雄神社(あちはやお じんじゃ)
今日は大阪市鶴見区の放出(はなてん)へ大仕事、直行です。
はやめに家を出て客先近くの神社へお参り。
こちらへ滞在していた15分くらいの間、絶え間なく3人は来ていたよ。みなさんの柏手が心地よく響いてた。
私も、美しく鳴れかしと柏手を打つ。
が、慣れないと照れ(=邪念)が混じり思い切れず柏手がピリリと響かないんだね、。
何へ向けて何をお参りするのか、
全くわからん、
でも、昔から敬われてきた「なにか」をお参りすることは、
きっと悪いことではない「気がする」ので、お参りしよう。
うん、
わからないというこの事実は、ただ私が至らないがゆえわからないだけなのだから、
わからないなりにお参りしたらいいんじゃないか。
それでいいのだ。
という、わけのわからない納得をもってお参りする。
大正時代、落雷に遭ったそうで大手術の跡。
「今日も元気に生きてます。わからないけれどありがとうございます」と感謝を伝えることができたならば、それで御の字ではないか。